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江戸名所道戯尽
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2026-04-21 05:11:04
# 江戸名所道戯尽 『江戸名所道戯尽』(えどめいしょどうげづくし)は、歌川広重の門人である江戸時代後期の浮世絵師、歌川広景によって制作された戯画浮世絵である。安政6年(1859年)から文久元年(1861年)にかけて刊行された全50点{}。"}},"i":0}}]}">[注釈 1]からなる大判錦絵で、江戸に散らばる名所各地を舞台として、そこに生きる住人の姿をユーモラスに描いている。広景は広重の弟子であったこと以外はほとんど知られていない浮世絵師であり、本作の50点を含めて65点の作品しか現存が確認がされていない。 なお、作品内に表記される画題のうち「どうけ」部分に差異があるため、表記ゆれが発生しているが、本記事では作品点数の多い『江戸名所道戯尽』で表記する。 『江戸名所道戯尽』は安政6年(1859年)正月に版元辻岡屋文助(金松堂)から毎月数点ずつ刊行された作品であるが、制作者である歌川広景について判っていることはほとんど無い。1931年(昭和6年)に刊行された浮世絵研究者井上和雄の『浮世絵師伝』に「廣景【畫系】初代廣重門人【作畫期】安政-慶應 歌川を稱す、「江戸名所道戯畫」あり。」と記されているのを根拠として歌川広重の門人であるとされているが、江戸時代に刊行された文献に明確な記載は残されていない。 発表した作品には「広景」または「一葉斎」という画号が用いられており[注釈 2]、本作より前に刊行された作品が見つかっていないことから、『江戸名所道戯尽』が広景のデビュー作品とされている。『江戸名所道戯尽』を刊行する傍ら、『青物魚軍勢大合戦之図』や歌川国貞と合作した『東都冨士三十六景』などを手掛けたが、文久元年(1861年)8月に『江戸名所道戯尽』の「浅草歳の市」を刊行して以降は絵師としての足跡は確認できなくなっている。大正期の風俗研究者であった朝倉無声は、広景作の作品が遺存している事実から、広景自身は巧みに姿を晦まし、天寿を全うしたのではないかと考察している。画風や画号が似ている明治期の浮世絵師昇斎一景が広景ではないかという説もある。 太田記念美術館で学芸員を務める浮世絵研究者の日野原健司は、江戸時代に情報屋として活動していた須藤由蔵が残した『藤岡屋日記』内に文久3年(1863年)11月20日の出来事として皇国有志連を名乗る一団が広景を捜索する貼り紙を出していたという情報に着目し、時勢を題材とした『青物魚軍勢大合戦之図』を制作したことで尊王攘夷派からお尋ね者のような扱いを受けたことで活動が出来ない状況に置かれたのではないかと推察している。 また、『江戸名所道戯尽』が広景のデビュー作品であるとしたが、何故名も知られていない絵師が五十作にも及ぶ大作を刊行するに至ったのかについて、日野は版元の意向が強く働いていたのではないかと指摘している。当時の江戸では歌川広重の『名所江戸百景』が大いに流行し、これを手掛ける版元魚屋栄吉が隆盛を極めていた。広景の『江戸名所道戯尽』は広重の『名所江戸百景』刊行が終わった三か月後より始まっており、日野はこの人気に乗じて一山当てようと企てた辻岡屋から、意図的に類似した作品を作るよう依頼されて制作したのではないかと推察している。 本作は江戸の各名所を選定し、それを背景に戯画のユーモラスさを融合させた、他にあまり作例の無い浮世絵作品となっている。描写される人物は感情豊かに表現されており、喜怒哀楽が表情を通して観覧者にダイレクトに伝わるものとなっている一方、その動きは大げさに激しく描かれている。他方、背景となっている風景描写は正確でそつが無く、名所の持つ特色を着実に捉えているほか、空間の広がりも適切に描き出されている。 また、歌川広重や葛飾北斎の作品からの引用がかなりの割合で認められる点も特徴のひとつとなっており、特に署名部分や画題部分の配色や構成、作品を縦長に作成して枠で囲む様式などは、意図的に広重の『名所江戸百景』を踏襲している。人物描写については北斎の『北斎漫画』十二編や『富嶽百景』三編に強く影響を受けており、これらの作品から拝借した人物を見つけることができる。引用が認められる『北斎漫画』や『富嶽百景』が限定されている点について日野は、版元が制作を急がせるために参考情報としてこれらの絵手本を渡したのではないかと推察している。 『江戸名所道戯尽』の各作品には画題に番号が付与されており、毎月数点ずつ刊行された[注釈 3]。ただし、刊行は番号順ではなく、改印欄に表記された月であると思われ、どのような意図で番号を付与したかについては判っていない。また、「五拾番続」として広重の『名所江戸百景』と類似した全作品の目録が刊行されているが、番号と地域名のみが記載されているため、実際の画題とは表記が異なる。例えば壱番は画題では「日本橋の朝市」となっているが、目録では「日本橋」となっている。なお、二十九「筋違御門うち」と三十四「虎の御門外の景」は目録では逆転表記されている。
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