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軍団 (聖ヨハネ騎士団)
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2026-04-29 07:11:03
# 軍団 (聖ヨハネ騎士団) 聖ヨハネ騎士団における軍団 (イタリア語: lingua 英語:langue, tongue スペイン語:lengua) は、1319年から1798年まで存在した騎士グループ制度。おおまかな言語圏ごとに分けられ、要塞防衛時の持ち場などを分担した。各軍団はオーベルジュ(Auberge、騎士館とも)と呼ばれる本部を有しており、これはロドス島やビルグ、バレッタに一部が現存している。 14世紀初頭にロドス島を征服した聖ヨハネ騎士団は、次第に一国家の様相を呈し始めた。欧州中の多種多様な国家から集まる騎士たちは、1319年のモンペリエ支部の会合以降グループ化が進み、ヨーロッパでの騎士団の所領管理の観点から、各軍団はgrand prioriesに分けられ、場合によってはさらに小修道院区や代官管轄区に細分化されることもあった。組織の末端では、コマンドリーが各地の統治を担った。 軍団の指導者はプリーアー(小修道院長)やウィスイェ(管理人)と呼ばれた。その名によらず、彼らもマルタ十字を付け特殊な制約下に暮らす騎士団員であった。各軍団のプリーアーは、フランス軍団なら病院長、イタリア軍団なら聖ヨハネ騎士団海軍の提督というように、騎士団内での特別な役割も担っていた。 各軍団の本部はフランス語でオーベルジュと呼ばれた。日本語では騎士館と訳されることもあるが、本来は英語のインと同じものを指す言葉である。オーベルジュが建てられ始めたのは、中世後期のロドス島においてである。 1530年に騎士団がマルタ島へ移ったのち、1550年代まではビルグに各軍団のオーベルジュが置かれたが、1570年代までにはバレッタに移転した。 14世紀に設立された当初の軍団は7つだった。 1462年、カスティーリャ=レオン=ポルトガル軍団がアラゴン軍団から分離した。イングランド軍団は16世紀中ごろの本国の宗教改革の影響で構成員が減少し、解散したため、バレッタにイングランド軍団のオーベルジュはない。1784年の総長エマニュエル・デ・ロアン・ポルドゥクによる組織改編でアングロ=バイエルン軍団が新設され、ここにポーランド人騎士も含められた。彼らは元々私的なパラッツォとして建てられていた建物をオーベルジュとした。 バレッタの聖ヨハネ准司教座聖堂には、各軍団専用の聖堂が設置されている。 1798年に騎士団がフランスの侵攻によりマルタ島を追われた際、軍団制度は崩壊した。19世紀、軍団制度は大プリーア区制度や国際組織的な形態に改編された。
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