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ダビルシム
S4
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2026-07-31 14:11:05
# ダビルシム ダビルシム (Dabirsim) はフランスで生産、調教された競走馬である。おもな勝利はモルニ賞、ジャン・リュック・ラガルデール賞。馬名の意味は馬主とその家族の名前を組み合わせた造語(後述)。日本で活躍し、引退後はアメリカで種牡馬となったハットトリックの初年度産駒で、産駒初のG1競走優勝馬となった。 母Rumoredはアメリカで繁殖生活を送っていたが、2008年のキーンランドノーベンバーセールでハットトリックを受胎した状態で6万ドルで落札され、フランスに渡ってダビルシムを生む。いわゆる持ち込み馬である。その後ダビルシムは1歳時の2010年にドーヴィルオーガストイヤリングセールに出され、3万ユーロで落札される。 ボルドー近郊のラ・テスト=ド=ビュックを拠点とする若手調教師クリストフ・フェルランのもとで調教され、デビュー戦を出負けしながら馬なりのまま10馬身差で圧勝し、注目を集める。2戦目も馬なりで危なげなく勝つと、3戦目でG1モルニ賞と同じコースで行われる前哨戦のG3カブール賞に挑戦。中団後方から差し切って重賞初制覇を挙げる。この勝利はフェルランにとっても初の重賞勝ちであった。G1初挑戦となったモルニ賞では鞍上にランフランコ・デットーリを配して臨み、G2ロベールパパン賞など重賞2勝で実績上位のFamily Oneを差し置いての1番人気に推される。レースでは中団後方から残り200メートル余りで逃げるFamily Oneをかわして抜け出し、3馬身差の快勝でG1初制覇を飾った。この勝利を受け、馬主のシモン・シュプリンガーのもとには複数のトレード話が舞い込んだが、シモンはダビルシムの馬名は息子のDavid、妻のBirgitte、自身のSimonを組み合わせたものであり、ダビルシムを売ることは家族を売ることと同じだとしてそれらを断っている。また、デットーリはモルニ賞の勝ちっぷりから英G1ミドルパークステークスへの出走を進言。フェルランも同レースへの出走を表明したが、後日ジャン・リュック・ラガルデール賞への出走に切り替えた。そのジャン・リュック・ラガルデール賞ではスタートであおって最後方からの競馬になったが、残り200メートル余りから最内を突いて追い込み、逃げを打ったSalureをゴール前でとらえてG1競走2勝目を飾った。この勝利に対し、デットーリはダビルシムを「これまでに乗った中で最高の2歳馬でスーパースターだ。間違いなく2000ギニー馬になれる」と賛えている。 平地競走シーズン終了後、この年の活躍が評価され、カルティエ賞最優秀2歳牡馬に選出された。また、ワールド・サラブレッド・ランキングではレーシングポストトロフィー勝ち馬Camelotとともに、世代トップの119のレイティングを与えられた。翌年3月には、2歳馬ながら2011年のフランス年度代表馬に選出されている。2歳でのフランス年度代表馬選出は1980年のSaint Cyrein、1991年のアラジに続く、20年ぶり3頭目の栄誉であった。 オフシーズンは自厩舎でトレーニングを積みながら過ごす。当時、フェルランは春のレース選択として、初のマイル戦となるG3フォンテーヌブロー賞からプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)、G3ジェベル賞を叩いてから渡英して2000ギニー、2つのプランを挙げていた。その後、シーズン開始直後のイギリス遠征は時期尚早として、国内に留まって仏2000ギニーを目指し、順調であればロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスステークスに遠征することを表明した。4月にはデットーリに替わり、年間を通して優先的にダビルシムに騎乗する契約を結んだクリストフ・スミヨンを主戦騎手として迎えている。 シーズン初戦のフォンテーヌブロー賞は、4番手追走から直線で早めに抜けだしたが、後方にいたDragon Pulseにゴール寸前わずかに差し切られ、デビューからの連勝がストップした。先頭に立つ前後にスミヨンが何度も後ろを振り返っていたことから、それがダビルシムの走りに影響したのではという指摘や、その騎乗ぶりへの批判の声も上がった。この敗戦を受け、本番のプール・デッセ・デ・プーランではスローでかからないよう、同レースの出走馬Venetoをペースメーカーとして契約し、呼吸しやすいようにハミ吊りを装着する対策を施した。しかしレースではかかり気味に中団を追走し、直線では2度の前が壁になる不利もあって伸び切れず、約1馬身差の6着と敗れた。レース後、スミヨンとフェルランはともに、マイルの距離がダビルシムに適さなかったことを敗因とし、フェルランはジュライカップへの参戦の検討など、短距離路線への転換を示唆した。また、レースの2日後には、スミヨンがダビルシムとの相性が合わないことを理由に契約の解除を申し入れ、コンビを解消している。その後は秋に復帰の意向が伝えられ、フォレ賞に一次登録されるなどしたが、結局復帰することはなかった。 4歳になり、4月の復帰に向けて調教を積まれていたが、4月17日に引退と種牡馬入りが発表された。プール・デッセ・デ・プーラン以降は脚部不安をくり返していたという。 引退発表時は繋養先は未定だったが、後にドイツのカルツォフ牧場で種牡馬入りし、2014年から供用されることになった。初年度種付料は9000ユーロ。産駒の活躍に対し、最初の勝ち馬に2万ユーロ、最初の重賞勝ち馬に5万ユーロ、最初のG1勝ち馬に10万ユーロが生産者に支払われるという、異例のボーナスが設定された。初年度の種付け頭数は134頭で、これはドイツにおける新記録である。2015年1月16日に最初の産駒が誕生した。同年も100頭以上の種付けを行い、3年目以降により多くの種付けのオファーを受けることを期待し、2016年にフランスのグランシャン牧場に移動する。 2017年に初年度産駒がデビューし、同年4月17日にフランスのリオン=ダンジェ競馬場で産駒による初勝利を飾る。6月23日にロイヤルアスコット開催のアルバニーステークス(英G3)で産駒による重賞初勝利。この年はフランスのリーディングファーストシーズンサイアーとなり、ヨーロッパファーストシーズンサイアーランキングでも2位につける活躍で、2018年の種付料は3万ドルへと大幅に増額された。それでもこの年の種付け申し込みは200頭を数え、頭数を減らすために断りを入れるほどの人気ぶりだった。 2024年12月10日に行われたアルカナ社繁殖セールにて16万ユーロ(約2560万円)で落札され、2025年より北アフリカのリビアで種牡馬生活を送る。
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