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ほていや (ユニー)
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2026-05-20 05:11:05
# ほていや (ユニー) 株式会社 ほていやは、中部と関東でスーパーマーケットなどを展開していた株式会社である。食品や文化品はセルフサービス方式の売り場となっていたが、衣料品は対面販売を続けていた。 1969年(昭和44年)8月にタキヒョーや西川屋チェンと共同仕入れ会社として株式会社ユニー(初代)」を設立。1971年(昭和46年)2月21日に西川屋チェンや株式会社ユニー(初代)などを合併し、経営統合した。 古川政次郎が1927年(昭和2年)、遠縁にあたる水野常蔵が1912年(大正元年)に横浜市伊勢佐木町に開いた「越後屋呉服店」に1年ほど勤めたのちに独立。水野は病気から回復したが、[[1927年]]([[昭和]]2年)に岩崎が全てを継承している。[[横浜市]][[伊勢佐木町]]1-9に所在していた『日本紳士録 28版』 [[交詢社]]、1924年12月12日。pp横浜之部47。"}},"i":0}}]}">[注釈 1]。1929年(昭和4年)2月24日に「古川呉服店」として、横浜市伊勢佐木町で間口二間半・奥行四間半の店舗を開いたのが始まりである。開業当初は一般的な呉服太物を取り扱っていたが、早々にモスリン専門店となり、「古川モスリン店」と称した。 その後、業績拡大と共に呉服を再び取り扱うようになり、販売力のある店舗として同業社内でも注目されるようになった。 しかし、その後の戦時体制下での繊維統制の影響で事業を休止した。 戦後の1945年(昭和20年)に、古川政次郎が横浜市弘明寺で「ほていや呉服店」を開業。弟の秀一は名古屋市大須で「古川呉服店」を開業した。 古川呉服店は、秀一の縁故者が開いていた「今枝呉服店」と「猪飼呉服店」を統合する形で事業拡大を目指すこととし、1950年(昭和25年)3月13日に資本金50万円で株式会社 ほていや呉服店を設立。同月17日に大須・万松寺通りに「ほていや万松寺店」を開いた。 1951年(昭和26年)には仕入部を設置してチェーン本部機能を整え始め、1953年(昭和28年)に政次郎が経営していた会社も経営統合し、1958年(昭和33年)には全店一括の仕入部を設置するなど体制整備を進め、東海道を結ぶチェーン展開を目指した。そして、呉服の専門店から品ぞろえを広げるため、1958年(昭和33年)に洋品売り場を開設し、1959年(昭和34年)には全店に洋品雑貨を取り入れて呉服店から総合衣料店に転換した。 その後、1961年(昭和36年)12月8日に浜松市肴町にセルフサービスを導入した店舗を開き、1962年(昭和37年)5月20日に横浜市の弘明寺で生鮮3品を含めた食料品も扱うスーパーマーケットを開設した。 1962年(昭和37年)6月には株式会社 ほていや(初代)へ社名を変更し、同年8月に株式会社 ほてい産業を縫製部門として設立した。 1963年(昭和38年)に物品購入部門の株式会社 ほてい物産と株式会社 関百貨店を設立。同年10月には、本社ビルとしてほていやセンタービルを開設した。また、京都の「嵯峨野の美しさ」から名称を採った株式会社 嵯峨美を1964年(昭和39年)に設立して、伊勢佐木町4丁目に出店し、横浜ではトップクラスの高級品を扱う呉服専門店となるなど、呉服の販売にも力を入れていた。 1967年(昭和42年)8月には株式会社 関東ほていやを、1968年(昭和43年)8月には株式会社 中部ほていやを設立して、各々の地区ごとの営業部門を移管し、当社は両社への商品供給などの業務を行うようになった。 当社は、ユニーとして経営統合する直前には、店舗数80で売上高約635億円を上げ、全国第5位のスーパーマーケットチェーンへと発展していた。 1969年(昭和44年)3月11日に松喜屋と合併契約を締結して傘下に入れ、同月に三井物産と提携した。同年8月にタキヒョーや西川屋チェンと共同仕入れ会社・株式会社ユニー(初代)を設立し、同年9月には仕入れと支払業務を同社に移管した、1970年(昭和45年)2月にはタキヒョーや西川屋チェンと共に株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した。同年10月にはユニードと衣料品の海外での共同生産を開始した。同年11月17日にほていやの不動産会社・名浜株式会社がトヨタ自動車販売との折半出資で東名クラウン開発株式会社を設立。同年にはその他にも焼津の「大勝堂」を傘下に入れている。 1970年(昭和45年)2月には株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した。 そして、1971年(昭和46年)2月21日に西川屋チェンと経営統合するため、同社や株式会社ユニー(初代)などを合併して株式会社ユニー(2代目)となった。同時に、関東ほていやは株式会社関東ユニーに、中部ほていやは株式会社中部ユニーとなり、引き続き店舗の営業を行った。なお、経営統合後も仕入れも本部も資本面も、西川屋系とほていや系は別になっており、中部ユニーと関東ユニーは実質的にほていや系として営業を続けた。 そのため、上場による更なる発展を目指して完全に統合することとし、1975年(昭和50年)2月21日に株式会社ユニー(2代目)が中部ユニーと関東ユニーのほか、株式会社東海ユニーを吸収合併した。 その後、1974年(昭和49年)4月15日には完全子会社として株式会社さが美を設立して、同年8月に同社に呉服部門を継承させて分社化した。 1976年(昭和51年)8月21日には株式会社ユニー(2代目)が名浜株式会社と株式会社松喜屋のほか、株式会社西川屋と犬山食品株式会社を吸収合併した。 なお、猪飼社長達が1975年(昭和50年)に商標権を買戻し、呉服部門の拡充して保有する商標に合わせる形で1976年(昭和51年)に株式会社 ほてい産業が株式会社 ほていや(2代目)へ社名を変更。呉服専門店チェーンの「ほていや」としてユニーから分離独立している。
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